読書の仕方

 日中の仕事を終えて、それから本を読むというのも結構大変だ。つい横になって動画ばかり眺めてしまうが、そればかりだと目も頭も悪くなりそうだ。最近は動画のできが良すぎて、自分でものを考えるのが面倒になってしまう。

 情報はたくさん入ってくるが、自分に関係のない知識ばかり増えていっても頭は悪くなるようだ。内田百閒という夏目漱石の弟子が、「世の中には何でもよく知っている馬鹿がいる」とどこかで書いていたのを思い出した。

 読書は能動的にかかわるという点でまだましなのだろう。字面を追っているだけでも何らかの想像力が頭の中で働いている。でも読書というものにも訓練がいるのを感じる。

 あまり興味のない本や難しい本を無理に読まないことが第一だろう。ただ読んだというだけで何も残らない。映像の代わりに文字が目の前を流れていっただけだ。若いころはそれで散々失敗して、貴重な時間をずいぶん無駄にした。

 自分なりの読み方を身につけるというのも年季がいるが、世の中には自分にとって無駄な本というものもある。最近は、いい本だと思っても頭から全部読むこともなくなった。

 適当に本を開いて、目についたところから読む。前後バラバラに読んでいて、いつの間にか一冊読み上げていることもあれば、途中で飽きたらそこでやめる。

 一つは老眼が進んで目が疲れやすくなったせいだが、本なんてくそ真面目に読む必要はないと開き直ったせいもある。「本は読んでも読まれるな」ということを我が流なりに体得したようだ。