タクシーの運転手

 あの時乗り合わせたタクシーの運転手の何気ないひと言。それは、人生と将来につて悩んでいた自分にとって、後から思えば偶然とは思えないような的確なアドバイスだった。

 だが馬鹿な自分は、その言葉をただの雑談として聞き流し、どこかの目的地に着いてタクシーを降りたとたんに忘れ、そのまま月日が流れた。

 しかし、頭のどこかには会話の場面が残っていたのだろう。ある出来事をきっかけにふと思い出し、三十年後の今もこうして忘れないでいる。あの時のタクシーの運転手の言葉を聞き入れていれば、その後の自分の運命も違う経過をたどっていたことだろう。

 運命というものは、決められているようで、実はそうでもないようだ。その時々の自分の選択と決断で、分岐していく可能性がいくらでもある。

 その時そういう決断をすること自体が運命だったのだ、あるいは何か見えない力が働いてそう決断せざるを得なかったのだと、言ってしまえば身もふたもなくなるが、そういう見えない力の部分も含めて自分の意思だったのだ。

 料金を支払うときに目が合ったタクシーの運転手の顔は、思いのほか若くまだ40歳前後の年齢に見えた。ずっとタクシーの運転手をしていたばかりの人にも見えなかった。

 恐らくは、彼よりずっと年下の若造の悩みなど、一目で見抜いたのだ。そしておそらくは、彼自身の体験に基づいてのアドバイスではなかったのかと、最近になって思うようになった。