毎日の鍛錬と工夫

 武道の上達のために毎日の鍛錬が必要なことは言うまでもない。そこまでいかなくても、週に2、3回の稽古は必要だ。地域の人たちが集まってくる道場には、ベテランから初心者まで、年齢もさまざまな人たちがいる。

 非常に上達したいと思っている人もいれば、上達はほどほどでも健康づくりになればいいという人や、子どもに習わせるつもりで連れてきて、いつの間にか子どもは逃げ出して、親の方が身代わりのように続けているという人もいる。

 中に二十代の男性で非常に熱心な人がいて、もともとは他所の道場から移ってきた人で、自分が習い覚えてきたことに自信を持っている人がいた。

 もちろん彼のやり方は間違ってはいない。真面目な先生に習ってきたようで、教科書通りの基本の忠実なやり方だ。例えば学校で学ぶ数学の公式のように、三角形ならば正三角形か直角三角形にならばきちんと当てはまる公式だ。

 だが三角形と言っても無限に形は変化する。少しでも三角形の形がゆがむとたちまち技に無理が生じてくる。彼はまじめな人だから、そこは自分の鍛錬不足に違いないと思って、ますます特定の公式ばかりに固執しようとする。

 だがそこは発想を変えて対応しなければならないところなのだ。例えば、ちょっと変数を追加してみるだけでも技の利き方が違ってくる。それが工夫というものだが、まじめすぎる彼はそうすることを邪道だと考える。

 地力があり、技もスピードもあり、誰よりも鍛錬を積んできた自信のある彼に、唯一足りないものは柔軟な考え方と工夫だ。間違った鍛錬の行く先は、到達すべき場所を見失ってしまうということだ。

タクシーの運転手

 あの時乗り合わせたタクシーの運転手の何気ないひと言。それは、人生と将来につて悩んでいた自分にとって、後から思えば偶然とは思えないような的確なアドバイスだった。

 だが馬鹿な自分は、その言葉をただの雑談として聞き流し、どこかの目的地に着いてタクシーを降りたとたんに忘れ、そのまま月日が流れた。

 しかし、頭のどこかには会話の場面が残っていたのだろう。ある出来事をきっかけにふと思い出し、三十年後の今もこうして忘れないでいる。あの時のタクシーの運転手の言葉を聞き入れていれば、その後の自分の運命も違う経過をたどっていたことだろう。

 運命というものは、決められているようで、実はそうでもないようだ。その時々の自分の選択と決断で、分岐していく可能性がいくらでもある。

 その時そういう決断をすること自体が運命だったのだ、あるいは何か見えない力が働いてそう決断せざるを得なかったのだと、言ってしまえば身もふたもなくなるが、そういう見えない力の部分も含めて自分の意思だったのだ。

 料金を支払うときに目が合ったタクシーの運転手の顔は、思いのほか若くまだ40歳前後の年齢に見えた。ずっとタクシーの運転手をしていたばかりの人にも見えなかった。

 恐らくは、彼よりずっと年下の若造の悩みなど、一目で見抜いたのだ。そしておそらくは、彼自身の体験に基づいてのアドバイスではなかったのかと、最近になって思うようになった。

知命ということ

 ふり返れば運命の転機というのはいくつもあった。これでよかったと思う転機もあれば、明らかに失敗だったと悔やんでも悔やみきれないものもある。

 とくに20代の頃のしくじりは、未だに傷深く尾を引いて、取り返しのつかないまま現在に至っている。20代というのは一端の大人になったつもりでも、しょせん経験値が不足しすぎていて考えも浅い。

 これも思い返せば、その時々で正しいことをそれとなく助言してくれる年配者はいたのだ。それは父親でもあれば、会社の上司でもあれば、たまたま乗り合わせたタクシーの運転手であるときもあった。

 だが若さというのは理想に走りがちで生意気で、年配者の意見というのがあまりにも世俗的で有りふれたことのようにも思われて、浅はかな自分の考えのままに突っ走ってしまう。

 それがやはり過ちだったと心身ともに顕在化してくるのは、中年期を過ぎ、そろそろ初老と言ってもいいような年代になってからのことだ。

 中国の孔子は、50歳前後のことを「知命」と言ったが、運命を知るというのはこのことかと身にしみて感じさせられる。

鎌倉の寿福寺

 植木の仕事で鎌倉の個人邸にいくと、近くにいくつかの有名な観光地があって、線路を渡ったところに寿福寺の山門がある。昼休みには、山門の前に置かれている石の上に座って弁当を食べたりする。

 そんなことを5年ばかりやっていたが、寿福寺そのものには大して興味は感じなかった。鎌倉時代から続く古くて立派なお寺だと感心して眺めていただけだ。ときどき人力車に乗ってやってくる観光客もそんなものだろう。

 しかしたまたま、念流という剣術の古い流派の開祖が、若いころにこの寿福寺で禅僧から兵法の秘伝を受けて、それをきっかけに自分の剣術を完成させたことを知って、改めてこの寿福寺への興味がわいてきた。

 禅僧がいたというからには、いうまでもなくこのお寺は禅寺だ。開山したのは誰か。なんと栄西さんだった。鎌倉時代の傑出した禅僧で臨済宗の開祖。源頼朝の妻の北条政子がわざわざ栄西を呼び寄せて建立したのだ。

 そんなお寺を昼食の休憩場所として使い、何年もただぼんやりと眺めて過ごしてきたこの能天気さ。メインは仕事だからそう一々、近くの神社仏閣に感心してはいられないのだが、知られざる歴史の一幕を身近に感じられただけでも良かった。

人間関係

 東京に三十年以上住んでいるが、ずっと賃貸暮らしのためか地縁というものはない。あるのは趣味の活動である道場を通じての交流のみだ。もちろん仕事での付き合いはあるが、それだけで十分だ。

 しかし、趣味の活動の団体に1つでも所属しておくと、多種多様な人が集まってくるから、意外に人間関係も広がっていく。フェイスブックなどを使えば際限なく広がっていくから、むしろ制限しなければ個人の時間が保てなくなる。

 浅くて広い人間関係など必要とも思わない。かえって煩わしいだけだ。だいたい人と付き合うにしても半年、1年たってようやく相手の実態というか本年のようなものが見えてくるものなのだから、焦って仲間になる必要はない。

 そうやって5年、10年と過ぎていくと、本当に長く付き合える人間関係というのが自然と出来てくる。

 そうして親しくなった人たちとも、べたべたと付き合う必要はないのだ。むしろ一定の距離感をもって親しい関係でいられるというのは理想ではないだろうか。

 そこまで親密でなくても普段ときどき顔を合わせるような人たちとは、失礼のない程度にあいさつを交わし、孤独死でもしそうになった時は「あの人最近見ないね」と、気づいてもらえるくらいの関係になれたら十分だ。

さいづち頭

 戦国時代の話に石田三成が登場すると、必ずと言っていいほど彼のことをさいづち頭だったと表現してある。

 確かに才走った男だったろうなと軽く読み流していたが、サイヅチというのは才槌のことで、単純に三成の頭蓋の形態のことを同時代人がそう呼んでいたらしい。

 実際に三成の頭蓋骨が発掘調査されたことがあって、額と後頭部が出っぱった長頭型であることと、かなりの反っ歯であることが確認されている。

 三成の性格が官僚的で、政治的に口うるさかったことも確からしいから、加藤清正福島正則といった武将型の大名の憎悪の的となっていたことも容易に想像できる。

 そして三成は、豊臣秀吉の死後、加藤清正福島正則らの武将型の大名が次々と徳川家康になびいていく中で、秀吉の恩を忘れず、豊臣家のために関ヶ原の戦いを起こしたとされる。しかし闘いに負け、京の六条河原で斬首された。

 仮に関ヶ原の戦いがなかったとしても、秀吉の次の天下人には家康がなって、時代は徳川政権へと移行していっただろうと思える。ただその場合、表面的には家康に従っても、豊臣家に恩顧を感じている大名はそのまま残る。

それは家康にとって非常に都合が悪いことに違いない。だから三成が関ヶ原という天下分け目の大イベントを企画してくれたことは、のちの徳川政権を盤石にするうえで、家康にとって好都合だったのだ。

 もちろん、実際に勝つかどうかは家康にとっても賭けのようなものだっただろう。三成にしてみれば、豊臣家のためという以前に、自分が生き延びるためには家康に勝つしかなかったのだ。あわよくば、豊臣家を上に戴いての三成政権という夢もあったかもしれない。

武士と忍者

 武士と忍者が戦ったらどちらが勝つか。武士は刀を振り回し、忍者はあらゆる道具を武器として使う。

 武士は刀の届く範囲では強いかもしれないが、忍者が遠間や背後から飛び道具で攻撃してきたら、普通の武士はやはり防げないのではないだろうか。

 宮本武蔵クラスの武士になると、相手が攻撃する気配を読んだり、気迫で相手の動きを封じたりすることもできるかもしれない。

 だが普通の、と言っても、例えば道場で三羽烏とか四天王とか呼ばれるくらいの達人であっても、練達の忍者の攻撃は防げないような気がする。

 こう考えてみると、武士の刀というものは、基本的には身を守るための道具であって、攻撃用としては尺が足りないのだ。

 時代劇のように、着物を着た相手をばっさばっさと切り倒すのも無理だろうし、甲冑を身につけた相手にいきなり日本刀で向かっていくようなことがあるはずもない。

 鎧を身につけた武士同士の集団戦で有効なのは、第一は火砲で、次は投石だろう。それから弓矢、騎馬による突撃、槍、最後に接近戦でどうしようもなくなって刀。刀はあるいは自刎用に使われることが多かったかもしれない。

 忍者の集団と武士の集団が戦場でぶつかったらどうなるか。これはもう一方的に忍者の集団が虐殺されそうな気がする。それ以前に、あっという間に戦場からいなくなるのが忍者らしいか。