大学というもの

 今年も受験シーズンが終わった。希望する進学先へ合格、不合格と悲喜こもごもだ。息子2人の受験もすでに過去のものとなった。あとは無事に卒業してくれればいいがと願う。

 子どもを大学へ行かせるのは何のためか。第一に自分が親にそうしてもらったからだ。第二に就職に必要な高度な専門知識もしくは教養を身に着けさせるためだ。親のほうは少なくともそう期待している。

 だが、自分の経験からして、そのことはあまり大学には期待できない。大学の教員というのは狭い専門分野に特化して学位、修士、博士号を取得した者ばかりだし、世間一般の就職先のことについては何の知識もない。

 立派な業績もあって、専門分野以外の見識もあるような先生は、ほんの一握りではないだろうか。あとはままごとのような狭い世界で、足の引っ張り合いをし、つまらないことで意地を張って喧嘩ばかりしている。

 でもまあそれも世の中の縮図だ。就職してどこかの会社に入ったところで似たようなものだろう。そこで大学での勉強が何の役にも立たないとしても、学歴がないことで子どもが嫌な思いをするよりは、大卒の肩書だけでもつけさせてあげたい。

 欲を言えば、名前の通った大学のほうがいいだろう。その程度のことだ。その程度のことかも知らないが、その程度こそが問題であるとも言える。そうでなければ毎年何十万人もの受験生が、狭き門を目指して殺到するはずがないのだ。