外国語

 大学時代、第二外国語で中国語にしようか、ドイツ語にしようかと迷ったあげくに中国語を選んだ。日本の地理的条件を考えて、英語と中国語を使えるようになっていれば、何かと役立つことが多いだろうと考えたからだ。

 もちろん今となってはどちらも大して物にはなっておらず、仕事も外国語をまったくと言ってもいいほど必要としない環境で何十年かやってきた。

 語学が多少役に立ったとすれば、和製英語を理解するときの言語の意味が大体わかることと、道場にやってくる外国人と簡単な挨拶を交わす時くらいだ。

 最近は中国人も多いから、もっとしっかり勉強しておけばよかったとも思うが、英語や中国語で流ちょうに会話をするようなことは、いくら机上の勉強をしたところで所詮は無理だろうなとも感じる。

 外国語を実用的なレベルにまで高めようとすれば、5年や10年は現地に行って生活してみなければ無理だろう。そうなると、学校教育で膨大な時間をかけて外国語の勉強をする意味は何なのかということになる。

 だが、外国語に限らず、学校教育で学ぶこと自体が、そもそも実用的な意味では役に立たないことがほとんどだ。言い換えれば、大抵の人にとってはそれで直接お金が稼げるわけではなく、いわば趣味、教養的な学問がほとんどだ。

 だからと言って、技術的なことばかり身につけても、語学ならば英会話学校や語学留学でしゃべることばかりが堪能になったとしても、そんな人は幾らでも代わりがいるよということになってしまう。

 一見役に立たないように見えても、やはり基礎教育という部分がないと、現代では生きてはいけないことになっているらしい。