毎日の鍛錬と工夫

 武道の上達のために毎日の鍛錬が必要なことは言うまでもない。そこまでいかなくても、週に2、3回の稽古は必要だ。地域の人たちが集まってくる道場には、ベテランから初心者まで、年齢もさまざまな人たちがいる。

 非常に上達したいと思っている人もいれば、上達はほどほどでも健康づくりになればいいという人や、子どもに習わせるつもりで連れてきて、いつの間にか子どもは逃げ出して、親の方が身代わりのように続けているという人もいる。

 中に二十代の男性で非常に熱心な人がいて、もともとは他所の道場から移ってきた人で、自分が習い覚えてきたことに自信を持っている人がいた。

 もちろん彼のやり方は間違ってはいない。真面目な先生に習ってきたようで、教科書通りの基本の忠実なやり方だ。例えば学校で学ぶ数学の公式のように、三角形ならば正三角形か直角三角形にならばきちんと当てはまる公式だ。

 だが三角形と言っても無限に形は変化する。少しでも三角形の形がゆがむとたちまち技に無理が生じてくる。彼はまじめな人だから、そこは自分の鍛錬不足に違いないと思って、ますます特定の公式ばかりに固執しようとする。

 だがそこは発想を変えて対応しなければならないところなのだ。例えば、ちょっと変数を追加してみるだけでも技の利き方が違ってくる。それが工夫というものだが、まじめすぎる彼はそうすることを邪道だと考える。

 地力があり、技もスピードもあり、誰よりも鍛錬を積んできた自信のある彼に、唯一足りないものは柔軟な考え方と工夫だ。間違った鍛錬の行く先は、到達すべき場所を見失ってしまうということだ。