ヘルダーリン

 また一つ忘れていた懐かしい名前が、読んでいた本の中から目に飛び込んできた。ドイツの詩人ヘルダーリン

 ゲーテやシラーほど有名でもないが、学生時代の指導教官の一人がこのヘルダーリンが大好きで、ことあるごとにヘルダーリンの詩を持ち出して話をしていた。

 おかしなことにその教官は、ドイツ文学の専攻でも何でもなく、東洋の方が専門なのだが、なぜかヘルダーリンに傾倒していた。教官といっても、どこかの大学を定年で辞めて非常勤で来ているような人だったから、自分の好きなことを好きにしゃべっていたのだろう。

 その時の話の内容などとっくに忘れ去ったが、それでも詩を朗読するときの教官の口調や雰囲気などが今あらためて蘇ってくる。当時うわの空で話を聞いていた割には、何らかの感銘は受けていたらしい。

 あれから30年余りの月日が経った。当時60歳を超えていたはずのあの教官は、たぶんもう亡くなっていることだろう。特に目立つような業績があった人でもない。普通に忘れ去られてしまうタイプの、ごく平凡な教官の一人だ。

 おそらく、あの教官がいたことを覚えている人さえ、今はもういないのではないだろうか。そんな影薄い人の姿が、ヘルダーリンという名前を媒介にして、忘れていた記憶の底から蘇ってきた。

 ヘルダーリンは18世紀ドイツの詩人で、夫ある女性への失恋ののち30代半ばで精神を病み、人生の後半を塔の中に引きこもって過ごした人だ。晩年には自分が誰なのかもわからなくなっていたらしい。

 ヘルダーリンの詩がどんな詩かとは、自分のレベルではとても言えない。いろんな解説を読んでみてもよくわからない。詩というものは、知的に解釈してこれこれこうだと説明できるようなものでもないのだろう。

 ただあの時の教官の熱意と語り口が、あたらめて自分をヘルダーリンの世界に惹きつけようとするのを感じる。純粋で孤独な詩人の魂が伝えようとしたもの、当時は話を聞いても素通りしていくだけだったものが、ようやく意味を持って感じられるようになったということだろうか。