歴史は変わる

 むかし歴史の教科書で習ったことがどんどん変化している。たとえば明智光秀の評価などはずいぶん変わった。以前は主君の織田信長を殺した悪人でしかなかったかのが、実は非常に優れた武将であったと再評価されている。歴史的事実は変わらなくても評価が変わっただけなのかもしれない。

 あるいは信長、秀吉、家康といった天下人が歴史の主流だった時代から、脇役的な立場にあった人材に光が当たるようになったということなのか。加賀の前田利家が脚光を浴びた時にも、似たようなことを感じたことがある。

 そうであれば、桶狭間で無様な死に方をしたように思われている今川義元も、いつか再評価されるかもしれないし、戦国一のダメ武将のように言われている義元の息子の今川氏真も、ユニークな生き方をした人間だったと見直されるかもしれない。

 実際、ある人物や物ごとについて、目撃者の談話などを聞いても、部分的にはわかるが、その人物や物ごとの全体がどういう意味合いを持つのかよくわからないことが多い。歴史の目撃者といっても、たまたま同時代人というだけで、そんなに他人様のことに関心など持っているはずがない。

 時間がたてばたつほどに、その人の姿や出来事の意味がはっきり見えてくるということはやはりあるのだ。つまり歴史的事実は変わらないのに歴史観は時代によって変わる。普段われわれが思っている歴史というのは、そういう歴史観の一つに過ぎないということになるのだろう。