要するに日記か

 いつの間にかブログが40回を超えていた。習慣にすれば書くことはそれほど苦痛ではない。日々思ったり、考えたりしたことを忘れないように書くだけなのだから。要するにこれは日記なのだと改めて思う。Diaryというのが最初からついていたのだからこれでいいのだろう。しかしブログというのは果たしてこれでいいのだろうか。よくわからない。

 そもそも日記ということ自体を書く習慣がなかった。小学校の頃に、夏休みの絵日記というのを強制的にやらされたことがある。あんなのを子どもが毎日毎日几帳面に描くはずがない。仕方がないから時々は描いていた。だが結局は、夏休み終了間際に必死で残りを絵と一緒に書き足すことになる。これで日記というものが嫌になったのだと思う。

 二人の息子が小さかったころ、やはり絵日記の宿題が出て、未だにやらされているのかと自分の方が面倒くさく思ったことがある。長男が似たような性格で、母親に怒られながらやっとこさ絵日記を提出していた。

 ところが次男の方はわりと几帳面な性格で、それほど嫌がらずに毎日の課題を果たすのだ。これは物を描くのが好きだったということもある。確かにそういう子であれば毎日の絵日記も苦痛でないだろう。

 息子たちの子ども時代を思うと、毎日何かをこなすことの几帳面さは確かに自分にもある。それが次男にも受け継がれているようだ。こうして文章を書くことも嫌いではない。自分の場合は要するに絵を描くことが面倒だったのだ。

 その点、長男の場合は根っからのずぼらなのだ。なるほど長男は母親に似て、次男は父親の方に似るとはよく言ったものだ。女房は自分にそっくりな長男の性格に気がついて、それで余計にいらいらしていたのだろう。ちなみに二十を超えた今でも長男は女房に怒られている。

 いくら怒られたところで人間の生まれながらの性格というものは変わるものではない。怒られる方もすっかり慣れてしまっている。一応自分が悪いということも分かっているようだが、改めるのも面倒なのだろう。植木屋の親方と息子の関係も似たようなものだ。

 長男のことで言えば、苦痛で仕方がなかった夏休みの絵日記の課題を、労力少なく完成させる方法を彼が思いついたのは小学三年生の時だった。残念ながら彼だけに有効な方法であって、全国の絵日記に苦しむ小学生に救いとなるような方法ではない。親にも想像できなかったその方法は、彼の弟が小学校に入学したことで実現された。

 初めての兄弟そろっての小学校の夏休み。新学期が近づいても相変わらず絵日記が進まなかった長男は、一年生の弟の絵日記が着実に進行しているのを目にしたらしい。なんとそれをそのまま描き写しだしたのだった。女房も諦めたのか何も言わなかった。そしてこの絵日記の描き写しは、彼が小学校を卒業するまで続いたのである。