宮沢賢治が見ていたもの

 ブログをはじめてから、小さな手帳を愛用するようになった。思いついたことを忘れずメモするためだ。なるべく上着のポケットに入れて持ち歩くようにしている。

 そこで思い出すのは、宮沢賢治がいつも小さな手帳を首からぶら下げて歩いていたという話だが、さすがにやることが違う。賢治は筆記用具としてシャープペンシルを愛用していたらしい。

 宮沢賢治の作品は、現実と非現実とが一体となって展開していくようなものが多い。そして賢治は、自分が描いたものは、空想や思いつきではなく、すべて現実をありのままに書き写したものだと言っている。

 私は賢治のその言葉を信じる。銀河鉄道のような話も、賢治が実際に目にして体験したことなのだ。賢治はおそらく、昼間の意識を保ったまま夢の世界を体験するような、そういう特殊な能力を持っていたのだろう。そして賢治にとっては夢の世界の方がリアルで、現実の物質世界の方が仮想に近かったのではないか。

 真の世界はイデア界にあって、この物質世界は影のようなものだとする考え方は、古代ギリシャプラトンの時代からあったし、いつの時代の素朴な民間信仰の中にもある。賢治の意識は両方の世界を同時に見ていたのだと思う。

 現代の科学も、物質の究極の粒子から見えない世界を探求するところまできているようだから、賢治の世界観が科学的にも納得されるような時代がやがては来るのではないか。賢治の作品はそれを予言しているのだ。

 そして賢治が描くように現実と非現実が一体的に理解され、その上でさらに人間の幸福を追求していくような、そういう方向に未来は進んでいくのではないだろうか。