適度な仕事と余暇

 「気楽に働き、適度な収入を得て、余暇を楽しむ。これが最高の人生だ」と以前の職場の上司が言う。それが実現できれば、その通りだろう。本人も引退したから言うのだろう。現役のころは本社との板挟みで毎日やけ酒を飲んでいた。

 まず気楽に働くということ自体が想像できない。空想ならできるが、ストレスなしの仕事などあり得るのだろうか。これが三拍子そろって実現できるのは、仕事をしない公務員ぐらいしか思い浮かばない。自分で銭を稼ぐしかない身分の人間にはとても無理だ。

 そして「メシのための仕事は楽なことが一番、仕事以外の人生が本当の人生だ」「生活のためだけに働く人生などつまらない」とも言った。今彼は自宅近くのスーパーの駐車場で交通誘導の仕事をしているらしいが、70歳を超えてようやく理想の生活が実現できたのだろうか。

 確かに、70歳を超えれば、年金の片手間に気楽な仕事をして、余暇を楽しむということもあり得そうだ。だが余暇はいったい何を楽しむのだろうか。余暇も楽しみ方を知らないと、仕事がない状態を楽しむというだけになってしまいそうだ。

めんどうな管理人

 植木の仕事で、とある高級住宅地のマンションに行った。そこは面倒な管理人がいて、スケジュールが入るだけでも憂鬱な気分になる。現場につくとやはりそいつがいた。

 年のころは60を超えたくらいか。やくざ映画に出てきそうな濃い顔をしている。特徴的なのは目つきの嫌らしさだ。人の欠点やあらを探し出しては、ねちねちと追及してきそうな陰険なタイプによくある目つきだ。

 よほど暇なのか、モップをびちゃびちゃと水道の下で何十分も洗いながら、からみつくようにこっちを見ている。こいつを気にしていても仕方がないから、とにかく仕事を進める。

 親方とバカ息子はさっさとどこかへ行ってしまった。この親子はとにかく逃げるのだけはうまい。見て見ぬふりに気づかぬふり。父親はさすがに、いざとなったら対応するが、息子の方はどうにもならない。

 仕事さえ無事に済ませてしまえば何ともないのだが、生憎なことに、上から落とした枝が、マンションの理事長が共用部に置いていた簡易のライトに当たって、ライトの位置が少しずれてしまった。しかも、管理人の目から見えないところに逃げて仕事をしていたバカ息子が落とした枝だ。

 仕方がないから私がライトの位置を直す。大して太い枝でもないからライトに傷はない。そもそも共用部に自分の庭を照らすライトを置いている方が問題なのだが、とにかくこの一連のことが管理人には気に入らなかったらしい。

 「ライトの位置が前と違っている」とねちねちと絡みだした。「いや違ってはいない、斜めに倒れたのを真っすぐに戻しただけだ」と言っても、「もともとの角度はそうじゃなかった」と言い張る。そして、「これじゃ理事長に何と申し訳していいか分からない。俺はこれで管理人を首になるかもしれない。もし元の位置と少しでも違っていたら、後でどう責任を取ってくれるのか」としつこく絡んできた。

 「わかった。だったら後でと言わずに今すぐ理事長に謝罪に行くから、一緒に来てくれ」と言う少しひるんだようだが、「私がどんなに怒られても構わないから今すぐ行く」と言い張るとしぶしぶながらついてきた。

 部屋の呼び鈴を鳴らすと、奥さんが出てきて、「こういう次第で申し訳ございませんでした」と謝ると、理事長が顔を出してきて、謝罪している私を通り越して管理人に向かうと、「こんなくだらないことで、一々いちいち顔を出すな!」と怒鳴ってさっさと引っ込んでしまった。

 奥さんに挨拶して、そのまま管理人には目もくれずに仕事に戻ったが、この間、問題の発端であるバカ息子は、自分がそもそもの原因だとは気づいてもおらす、私が管理人と個人的にトラブルを起こしたのだと思って、木の上で見て見ぬふりをしていたらしい。

スズメバチと体質

 植木職人の天敵にスズメバチがいる。これから夏になってくると、スズメバチをはじめとする毒虫による被害が深刻になる。刺されると、患部から周辺部一帯がはれ上がって、一週間ほどは痛痒さで夜も寝られなくなる。

 しかし、この仕事を何十年もやっている親方の様子を見ると、ある年の夏など一日で右腕を同時に3か所もスズメバチに刺されたことがあった。さすがの親方もあまりの激痛に右腕を肩からだらりとしたまま、その日はもう仕事にならない様子だった。

 しかし次の日には平然と、もう仕事に戻っているのだ。聞けば、痛いのはやはり痛いらしい。これは痛みに耐性があるのか、それとも精神力なのだろうか。そもそもアナフィラキシーショックとやらで、普通の人間だったら、とっくに死んでいてもおかしくないような刺され方ではなかったのか。

 そういえば、うちの植木屋を含めて、どこそこの植木職人がスズメバチに刺されたという話は、毎年のように聞くが、その職人が死んだという話は聞かない。そしてスズメバチに刺されるという職人も大体決まっている。

 これは体質の問題なのか、慣れなのか。そんな職人たちは、「アナフィラキシーとやらでいちいち死んでちゃ、植木屋なんてやってられないよ」と平然と言う。しかし、刺されるのはやはり嫌なのか、現場でスズメバチが飛ぶ姿を目にしたとたん、大騒ぎして真っ先に逃げ出すのもこの職人たちではある。

出雲の国

 新幹線で兵庫、岡山、広島と下っていくと、右手になだらかな中国山地が連なっているのが見える。中国山地の手前側が山陽で、向こう側が山陰だ。山陰側には鳥取と島根がある。この2つの県だけはまだ行ったことがない。

 行ったことがないだけにイメージだけが膨らんでいく。そのイメージは日本の神話から来ている。山陰と言えばやはり古代の出雲の国が思い浮かぶ。神話のころの出雲は、山陰地方一帯を支配していた大勢力だったのだろう。

 高天原を追放された須佐之男命から大国主命にかけての、日本神話の主役たちが勢力を張ったのがこの出雲地域だ。そればかりでなく、この地方は朝鮮半島から伝わった製鉄の技術を持っていた。つまり、当時のテクノロジーの最先端地域でもあったのだ。

 だが地理的に見れば、山陰という日本の一地方に過ぎない。どう頑張っても日本の中心勢力にはなれない地域だ。にもかかわらず独立した勢力を保っていることが古代の大和朝廷には許せなかったのだろう。

 当時、天照大神を中心とする古代の大和朝廷は、九州から奈良にかけての太平洋側で勢力を拡大していた。その地盤が整ってきたところで、いよいよ山陰地方も版図に組み込もうとして、大国主命に国譲りを迫ったのだ。

 大国主命はこれを受け入れ、出雲に大きな御殿を与えられて世の中の表舞台から身を隠す。大和の勢力に逆らったところで、滅ぼされてしまったことだろう。大国主命の賢明な判断のお陰で、出雲大社は残り、今にいたるまで全国から参拝者が絶えないでいる。

前方後円墳

 前方後円墳というのはな、あれは盾を伏せた形なんだよ。四角い方が前だとか、丸いのが後ろだとか言っているが、どうでもいいことだ。形にばかりこだわっているから、あんたは頭が固いんだ。

 よく見ろよ。人型をしているだろう。あれは盾なんだ。だから、盾を伏せるというのは、戦争はしませんよと、そういう意味だ。盾を交えるというのは盾交うだろう。盾はたたとも読むんだよ。

 だから盾を伏せるのは戦争はしないということ。誰に対してかと言えば、もちろん中国だよ。別に無条件降伏をするとか、そんな意味じゃない。日本人はもともと、そんなに卑屈な民族じゃねえよ。左翼の連中じゃあるめえし。

 戦えるだけの力は十分に持っているが、われわれは出来れば仲良くしたいんだと、そういうことを示しているわけなんだ。だからあんなに堂々と、必要以上にでっかく作っているわけだ。

 数もやたらと多いだろうが。これだけの古墳をいくらでも作ることができる。それだけ国力もあるんだよということさ。そのうち本物の墓も混じるようになったかどうかは知らないが。(八十八爺)

植物の謎

 植木屋を手伝うようになってようやく気付いたことだが、植物というのは実に謎に満ちている。わずか数ミリから1センチに満たないような種子が巨木にまで成長する不思議さ。その種類の多種多様さ。

 植物が成長するには、太陽の光と水、それと土の中の成分がどんなものかは知らないが、そうした材料に加えて、目に見えない成長力というものがあるようだ。この不可思議な力は、謎としか思えないような方法で種子の中に組み込まれているらしい。

 光合成というのがまた不思議な現象だ。太陽の光と水と、空気中の二酸化炭素を利用して、葉っぱでデンプンをつくる。剪定した葉っぱの切り口を何度眺めてもその仕組みはわからない。

 デンプンというのは米や小麦の主な成分だから、この植物の光合成の力がなかったら、人間も動物も文明さえも、何一つ存在することは出来なかった。植物がここに至るまでは、何億年もの時間が必要だったというのは、きっとそうなのだろう。

 そのうちAIが進歩すれば、光合成の仕組みを解明して、植物の葉っぱ1枚がやっていることを工場でもできるようになるだろうか。そんな未来の科学技術が実現できるかもしれないことを、現に植物たちは行っている。

根の国とは

 古事記に出てくる根の国というのは、黄泉の国だという考え方がある一方で、現実的には朝鮮半島のことだという説がある。確かに、アジア大陸から日本に向かって、太い根っこが伸びてきているように見えなくもない。

 神話では、姉の天照大神と「天岩戸事件」を引き起こして、高天原を追放された須佐之男命が出雲に降り立って、マタノオロチを退治し、と子孫をつくって、そこからさらに根の国に渡ったということになっている。

 須佐之男命と櫛名田姫の子孫の血筋が大国主命へとつながって、そこから日本が繫栄していくこととなる。大国主命は、御殿を築いて根の国を治めていた須佐之男命のところへ赴いて、地上を治めるように命じられた。

 その大国主命も、高天原天照大神から派遣された神々によって国譲りを強制されてしまい、残ったのは出雲御殿だけという何とも理不尽な結末を迎えることになるから面白い。

 高天原がどこだかわからないが、姉の天照大神の勢力が、執拗に弟の須佐之男命とその子孫の勢力を追い詰めようとしているのが、高天原の追放から出雲の国譲りまでの一貫した流れとなっているようだ。

 大国主命出雲大社に納まったとして、須佐之男命の行きついた根の国というのは、朝鮮半島だったと言えるのかもしれない。出雲と朝鮮半島をつなぐ海のルートというのも、昔はあったのではないのか。