出雲の国

 新幹線で兵庫、岡山、広島と下っていくと、右手になだらかな中国山地が連なっているのが見える。中国山地の手前側が山陽で、向こう側が山陰だ。山陰側には鳥取と島根がある。この2つの県だけはまだ行ったことがない。

 行ったことがないだけにイメージだけが膨らんでいく。そのイメージは日本の神話から来ている。山陰と言えばやはり古代の出雲の国が思い浮かぶ。神話のころの出雲は、山陰地方一帯を支配していた大勢力だったのだろう。

 高天原を追放された須佐之男命から大国主命にかけての、日本神話の主役たちが勢力を張ったのがこの出雲地域だ。そればかりでなく、この地方は朝鮮半島から伝わった製鉄の技術を持っていた。つまり、当時のテクノロジーの最先端地域でもあったのだ。

 だが地理的に見れば、山陰という日本の一地方に過ぎない。どう頑張っても日本の中心勢力にはなれない地域だ。にもかかわらず独立した勢力を保っていることが古代の大和朝廷には許せなかったのだろう。

 当時、天照大神を中心とする古代の大和朝廷は、九州から奈良にかけての太平洋側で勢力を拡大していた。その地盤が整ってきたところで、いよいよ山陰地方も版図に組み込もうとして、大国主命に国譲りを迫ったのだ。

 大国主命はこれを受け入れ、出雲に大きな御殿を与えられて世の中の表舞台から身を隠す。大和の勢力に逆らったところで、滅ぼされてしまったことだろう。大国主命の賢明な判断のお陰で、出雲大社は残り、今にいたるまで全国から参拝者が絶えないでいる。