夢に見た131番の意味とは

 どこか外国の寄宿舎の食堂のようなところで食事をしている夢を見た。かなり広い場所で、大勢の人がいる気配がする。食事を終えて立ち上がると、食堂の壁際のテーブルの上に、本日の作品というタイトルで冊子が並べてあるのが見えた。近づくと、そこに自分が書いたブログもある。

 パラパラとめくっていけば、初回から最近のものまでがすべて掲載されている。不思議なのは文字がすべて英訳されていることだ。回によってはほとんど文字化けして、判読不能なものもあった。あまり出来のよくない文章はきちんと英訳されないシステムになっているのだろうかと、その時自分は思った。

 ちなみにほかの人の分も見てみると、写真が入っていたり、文字飾りがあったり、デザインも読みやすい構成になっていたりとよく工夫がされている。これは確かに気になっている点だったが、今はまだ自分はその段階ではないのだと思って、食堂から自分の部屋へと戻りかけた。

 途中、若い人たちの楽しそうな話し声が耳に入ってきて、「ああ、みんなは青春を謳歌していて、こんなおじさんは自分一人なのだ」と急に空しいような気分になり、なおさら早く部屋に戻りたくなった。

 ホールのようなところに出ると、同じユニフォームを着て黄色い鞄を抱えた若い人たちの集団がエレベータの中に乗り込んでいくのが見えた。彼らに続いて乗り込もうとすると、エレベータはなくなって、がらんとした通路があった。通路の入り口の上の方に、何番から何番までという標識が掲げてある。

 見まわせば、ホールから四方八方にそうした通路がのびていた。ふと自分の部屋番号は何番だったのだろうと思った。ここに寄宿しているはずだから、自分の部屋もあるはずだった。しかし自分の部屋がどこだったのかが全く思い出せない。

 たまたまポケットを探ると、鍵が入っていて、そこに131番という番号が記してある。「よかった。これが自分の部屋なのだ」と安心して、131番につながる通路はどこだろうかと探しているうちに目が覚めた。

 この夢がブログをはじめて日が浅い自分の心理状態を表しているのは間違いないだろう。わざわざ外国の寄宿舎に入っているのは、まったく見知らぬ環境の中で一から、孤独に出直しているという意味だろうか。

 わからないのは131番という数字だ。夢ではこれが自分の部屋の番号となっているらしいが、いったいどういう意味があるのだろうか。いつかそれに符合する現実が現れるのだろうかと少し楽しみだ。