宮沢賢治旧居跡

 造園業の現場は都内各地にあり、移転先の事務所からトラックで移動して、近いところで1時間、遠いところでは2時間以上かかる。少なくとも8時半には現場についていないといけないから、遠いところだとその分早く事務所に集合していないといけない。

 例えば文京区の現場は近い方で、だいたい1時間圏内にある。やはり近い方が気が楽だ。小さな現場だとなお有難い。遠くてきつい現場だと、仕事が終わってさらに長距離を移動しなければならないから、帰りはもうくたくただ。運転する人間が一番きつい。

 運転しなくても、事務所についてからの作業報告書があり、請求書に見積書の作成があり、集合住宅の場合は管理組合や元請会社との連絡事項がある。翌日に必要な資材の準備や機械の手入れもある。時に現場からのクレームへの対応もある。結局、楽な仕事はないということだ。

 造園業に転職した当初は、作業の合間の休憩時間はぶっ倒れるように横になっていた。今でもきつい現場ではそうだ。夏場は特に、全員が死んだようになっている。職人の高齢化が進んでいて、たまに本当に死にそうになる人がいるから注意しなければならない。

 作業がそれほどきつい現場ではなく、季節のよい時などは、昼休憩の食事が終わった後に、現場の周辺をぶらぶらと歩きまわってみることがある。すると思いがけず有名な場所や風景に出会ったりするから東京は面白い。

 文京区の現場でそういう風に歩いていたら、いつの間にか樋口一葉で有名な菊坂の通りをたどっていた。確か近くに有名な井戸があるはずだと思って、石段を下りていくと、その途中に文京区教育委員会が出している宮沢賢治旧居跡の看板があった。

 だいぶ前に、宮沢賢治の故郷の岩手の花巻を訪れたことがあったが、そのとき、賢治が東京と岩手を何度も往復していたという話を聞いたか、読んだかしたような記憶が確かにある。

 旧居跡というよりは、賢治が一時下宿先として滞在していたようだ。そして、ここにあった古い下宿のわずか3畳の部屋で、1日300枚のペースで童話や詩を書き上げたと看板には記してある。

 まさか宮沢文学誕生の地に、こうして職人服姿でたどりつくとも思わなかったが、樋口一葉の井戸には行きそびれてしまった。