時間と感覚

 楽しいことをしている時間はあっという間に過ぎ、嫌なことや退屈なことをしている時間は長く感じる。今の職人仕事をしているときの時間は立つのが速いが、会社でデスクワークをしていた頃はとても長く感じた。

 この時間が延び縮みするという感覚は、錯覚ではなくて、物理現象として実際にあることだ。なぜならばアインシュタインがそのように言っている。アインシュタインは、相対性理論の意味について尋ねられた際に、次のように答えたという。

 「熱いストーブの上に手を置くと1分が1時間に感じられる。しかし、きれいな女の子と座っていると1時間が1分に感じられる。それが相対性理論である」と。

 相対性理論のことなどさっぱりわからない人間でも、アインシュタインがそういうものだと言えば、なるほど時間とは伸び縮みするものだと受け入れる。つまり、自分の感覚は正しかったのだと。

 おそらく、こういうことは幾らでもあるのだろう。感覚は正しいのだが、それを錯覚だと思うようなときは、判断のほうが間違っているような場合が。そして科学的な裏付けがなされると、「やっぱりそうか、前からそう感じていたんだ」となる。そんなものだ。

 時間と同じくらいにとらえがたい現象として、亡くなった祖父母やご先祖のことだが、この年になってくると、非常に身近に寄り添っておられるような感じがすることがある。

 死後に霊魂などはないと、そっちの科学的根拠もないままに否定される場合が多いが、ここで判断を間違ったりしたら大変なことになる。先祖供養、お墓参りというのは、やはりきちんとやるべきなのだ。