ハヤ・サンジ

 最初に親方の口からハヤサンジという言葉を聞いたとき、何のことだか当然わからなかった。誰か人の名前なのか、造園業界の特別な用語なのか。その日はとても暑い日で、午後に入った時点からみんなもうへたばっていた。

 造園業は庭仕事で、休憩時間に涼めるような場所などない。道路のわきか建物わきの邪魔にならないところで、顔に手ぬぐいでもかけてみんな死んだように横になっている。そして昼食後の2時間が日差しも容赦なくて一番きつい時間だ。

 「そうだよ。今日はハヤサンジだよ!」と親方の息子が急に元気になって言う。なるほど、ハヤサンジというのは、またこの息子の造語だなと思った。 

 この息子は植木屋のキャリアはそれなりに長いのだが、私が入ったころは、いつも父親の親方に怒鳴られていた。今でもたまに怒鳴られている。

 気はいい人間なのだが、根が怠け者で、植木屋としてのセンスも今一つ足りない。それは本人も自覚しているが、今一歩の努力をやろうとしない。いつも競馬と飲み屋、うまい食べ物屋の話ばかりしている。そこが親方にはもどかしくて、つい怒鳴りつけてしまうのだろう。でも結局は息子に甘い父親だった。

 この息子は、人にぴったりのあだ名をつけたり、物ごとを自分なりの言葉で言い換えたりして話すから、何を言っているのかわからない時がある。

 車をUターンさせるときはグルリンコ、小便がしたい時はベンジョンソン、オザワイチロウというのは、顔が小沢一郎にそっくりな中国人の建物のオーナー。しかし言葉のセンスは面白い。できの悪い宮沢賢治というところだろうか。

 ちなみにマンションの上の階から住民にバケツで水を浴びせかけられたりするのもこの男の役目だ。びしょぬれになって憤慨している姿を見ても、親方も誰も同情はしない。だからハヤサンジというのも、この息子が勝手につくった言葉だろうと思った。問題はその意味が分からないことだった。

 息子の答えに応じて「よし、じゃあ今日はハヤサンジだ」と親方が決定する。

 時刻はもう15時の休憩時間に近かった。さて何が始まるのだろうかと思っていると、親方が「みんな、もう今日は暑すぎて仕事にならないから、三時で仕事は切り上げよう。残りは明日だ。ちょっと休憩したら片付けの準備をしてくれ」と言った。

 つまりハヤサンジとは「早三時」ということだったのだ。普通一般の企業でも個人的な早退はあるだろうが、部署が丸ごと「今日は三時に仕事を切り上げよう」といって一斉退社することはないだろう。

 こういうところがうちの業界の面白いところだ。ただハヤサンジという言葉が、業界用語として一般的な言葉なのかどうかは未だにわからない。