山谷にであう

 山谷という場所がずっと謎だったが、荒川区泪橋交差点あたりの旧名称らしい。イメージ的には上野駅の北東のほうと思っていて、それは間違っていなかったのだが、台東区を超えてもっと上のほうにあった。

 日雇い労働の求人業者と求職者が集まる場所のあるところで、いつかお世話になるかもしれないと気にかかっていた場所だった。しかし、地図で見てもよくわからず、いざ前の仕事を辞めた時はすっかり忘れて、ネットで検索した派遣の仕事に飛び込んでいた。

 それがたまたま、現場に向かうトラックでの移動中、交差点で信号待ちをしているときに「この辺が山谷のドヤ街だ」と親方が話す声を聞いてはっと思った。千住大橋から南に向かい、途中線路下のトンネルをくぐって、浅草方面に向かう途中にその場所はあった。

 泪(なみだ)橋という地名が信号機の横に掲げてある。見たところ橋もなければ川らしきものもないが、いかにも日雇い労働者の悲哀が込められていそうな名前だ。

 後で調べてみれば、日雇い労働者どころか、南千住にあった小塚原刑場に連れていかれる罪人と、その家族が別れを惜しんで涙を流した場所だった。

 以前、有名な吉原というのはどの辺にあったのだろうと散策したことがあったが、そこから三ノ輪に向かっていく途中で、大通りを右に折れて、白髭橋の方に向かって歩いていけばよかったのだ。