デジャブ(既視感)

 この光景を確かにどこかで見たことがある。その思いは日ごとに強くなって、時間がたつほどに確信に変わりつつあった。その見た場所というのが、どうやら夢の中のできごとだったようで、それもまた一種のデジャブ(既視感)といっていいのかもしれない。

 四十代ももうすぐ終わるというころ、とある理由でコンサル系の仕事を辞め、それまでのデスクワークから、しばらくは派遣の肉体労働で日銭を稼ぐようにして生活していた。そこでたまたま人に紹介されて造園会社の社員となる。

 すると今度は、その造園会社が地上げにあって、新しい事務所を構えるためにようやく探し当てた場所がここだった。かつてサラリーマン時代も、そのあとの派遣の日々もまったく来たことのない場所。最寄りの駅も路線も、これまで通り過ぎる以外に全く縁がなかった場所だ。

 大通りからわき道に入り、そこから曲がって事務所に通じる路地の入り口に初めて立ったとき、めまいに似たような違和感を感じた。はじめて来たはずなのに、何だか見たことがあるような感じがしてならないといった違和感である。

 しばらくは引っ越しの作業やら何やらで忙しく、その時の違和感はすぐに忘れた。そのうち新しい事務所を起点とした仕事にも慣れてくると、今度は最初に感じていた違和感がまたよみがえってきた。

 自分はこの光景を確かに見たらしい。しかし、いつどこで見たのかがどうしても思い出せない、と悩む日々が続いたが、突然、いつか見た夢の中身がよみがえってきて、やっぱりそうだったかと確信に変わりつつあるところです。

 かなり印象的な夢で、あまり思い出したくもない夢だったので忘れていたのだが、勢いよく仕事を辞めたところで、結局は今のような状態になることを予知していた夢だったのかもしれない。

 しかし、後悔しているかと言われればそうでもない。確かに厳しい生活ではある。朝は5時台に起きて、7時には事務所に集合し、そこからトラックで現場に向かう。夏の暑さは厳しく耐えがたく、冬は指先がかじかんで思うように動かない。いつ高所から転落するかもしれない危険もある。

 だが、最初の時期のつらさを乗りこえれば、規則正しい生活で体力もつき、自然が相手だから余計なストレスもない生活だ。最近は、いろいろと物を考える余裕さえ出てきているくらいで、かえって良かったのかなという気さえしている。