筏(いかだ)は失敗だった

 水辺の遊びで思い出したことがある。あれは確か私が冬の池に落ちて寒中水泳をやった年の夏だったと思う。その頃の集落の小学生は、学年を超えてみんなで一緒に遊んでいた。

 私が最年長の5年生で1人、4年生が1人、3年生が弟ともう1人、2年生が3人。これがいつものメンバーで、女の子を除く集落のフルメンバーだった。そしてこのメンバーで私の小学校生活の残りを一緒に過ごすことになる。

 もちろん1年生もいるのだが、小さすぎて一緒に行動できないので、参加するのはだいたい2年生になってからである。だが2年生も、実際は子守り代わりに連れて歩いているようなものだった。

 それと実はもう一人6年生がいるのだが、この人は同級生の女子とばかり遊んでいるので、私が自然とこのメンバーを率いる形となっていた。

 水辺の話だが、夏になって、実家で小屋を増築した木材が余っていたので、これで筏をつくって池に浮かべようという話になり、大工道具を持ち出して、畳一枚ぐらいの大きさの筏らしきものをつくり、かなりな重さになったので、みんなで池まで担いで持って行った。

 そして岸から投げ込んで何とか水に浮かべることができた。だがどうも様子がおかしい。水面から出ている部分が浅すぎるのだ。ためしに私が片足を乗せてみると、もうそれだけで筏は沈みそうになる。

 「ああ、失敗だったか」とあきらめて戻りかけると、2年生のちび助の一人が面白がって、(確かヒサちゃんと呼んでいた子だったと思う)、筏にぴょんと飛び乗ったはいいが、その反動で筏はぐらりと傾いて、ヒサちゃんは水しぶきを上げて水の中に落ち、ばしゃばしゃと溺れはじめたのである。

 そこは進水の場に選んだだけあって、岸から土管が突き出している場所だったから、私は大急ぎで土管の上にまたがって、何とかヒサちゃんの体をつかんで溺れない程度に支えていたが、こっちが不安定な姿勢だから引き上げることもできずに進退窮まったような状態になってしまった。

 みれば筏は、水面からやっと顔をだしているといった感じで遠くの方へ漂っていく。そのうち腕もだんだん疲れてきた。4年生の子が誰か呼んでくるといって走っていったが、いつになるかわからない。

 幸い、バイクで通りかかった近所の農家のおじさんが、この悲惨な状況を見つけてくれて、池からヒサちゃんを無事引き上げてくれた。もしもこの時ヒサちゃんが溺れ死んでいたらと思うと今でもぞっとする。

 後でヒサちゃんの母親が、うちの子を助けてくれてありがとうと、わざわざお礼を届けに来たときは複雑な気分だった。予想外のこととはいえ、ヒサちゃんを危険なめに遭わせたのも、もとはと言えば自分の責任である。

 これについて思い返してみると、当時の私は、少なくともいつもの3年生以上のメンバーであれば、大概のことが起きても大丈夫だという気持ちはあったようだ。何しろ私がぶざまに氷の池に沈んだ時も、いち早く脱出してその様子を眺めていたような連中である。

 だがこのようにして、想定外のことが起こりうることを身を持って知るというのはいい経験だった。もちろん私の親からは、今後そういう危険な遊びはするなと、後でみっちり怒られたのだが。